大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和42年(た)1号 決定 1968年7月01日

主文

本件再審の請求を棄却する。

理由

一本件再審請求の趣意は、請求人の弁護人池田克、同大竹武七郎、同村山輝雄、同伊達秋雄、同百渓計助作成の「再審の請求並に趣意書」に記載されている。

その要点は、請求人は本件放火罪の実行行為者とされているのであるが、前記有罪判決の確定した後である昭和四二年二月四日、右判決において放火の実行行為者ではなく単なる共謀共同正犯者であると認定されていた福田清子から、本件の弁護人らに対して、放火行為を実行したのは福田清子自身であり、しかも請求人との間にはなんら共謀の事実のないことを告白し、複雑入念かつ巧妙特異なその放火の方法を詳細に供述するに至つた、そこで請求人に対して放火、詐欺(保険金騙取)の罪につき無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したものとして、刑訴四三五条六号により前記第一審の有罪判決に対して再審の請求をする次第であるというのである。

二請求人および福田清子に関する本件確定事件記録によると、請求人に対する前記第一審の有罪判決が確定するに至つた経過は、つぎのとおりである。

請求人に対する偽造有価証券行使、詐欺被告事件について昭和二九年一一月九日公訴が提起されたのち、請求人および福田清子に対する放火被告事件について昭和三〇年四月一九日公訴が提起され、ついで福田清子に対する建造物侵入、窃盗被告事件について同年六月九日公訴が提起され、最後に請求人および福田清子に対する詐欺(保険金騙取)被告事件について同月三〇日公訴が提起された。

そして、昭和三五年九月一三日、東京地方裁判所はこれらの全事件について有罪を認め、請求人を懲役八年に、福田清子を懲役三年に処する旨を言い渡した。請求人および福田清子は東京高等裁判所に控訴を申し立てたが、昭和四〇年九月三〇日控訴棄却の判決を受け、ついで、両名は最高裁判所に上告を申し立てたが、昭和四一年一二月二七日付で上告棄却の決定を受け、さらに両名は右決定に対する異議の申立をしたが、昭和四二年一月三一日付で申立棄却の決定を受け、請求人については同年二月四日、福田清子については同月二日右第一審判決が確定するに至つたのである。

三右第一審の確定判決(以下単に確定判決という)においては、放火の点につき、請求人は、内縁関係にあつた相被告人福田清子と共謀のうえ、昭和二九年五月二日午後一一時過ぎごろ、請求人が東京都大田区北千束町の自宅(木造瓦葺二階建)二階にガソリンを用いて放火し、同日午後一一時四九分ごろ火災となり、よつて被告人両名のほか二名が現に住居に使用する右家屋の二階全部および一階の約半分を焼燬した旨認定されている。

そして、確定判決が証拠として挙げている福田清子の検察官ならびに司法警察員に対する各供述調書によれば、福田清子は捜査段階では、請求人から放火の相談を持ちかけられたが、自分は放火の実行行為には関与していない、請求人はおそらく二階のがらくた類の置いてあつた廊下のあたりにガソリンをかけて火をつけたものと思うという趣旨の供述をしていたものである。しかし、公判になつてからは、福田清子はこのような供述を全面的に翻し、請求人とともに、終始、徹底的に放火の事実を争うに至つたのである。

四当裁判所は、請求人の主張する再審事由の有無を判断するため、本件確定事件の記録および証拠物を精査し、「再審の請求並に趣意書」に添付された福田清子の昭和四二年二月四日付告白書および弁護士伊達秋雄に対する同月七日付供述調書を検討するとともに、同年四月一五日と同年一二月七日の二回にわたつて栃木刑務所に服役中の福田清子を証人として尋問し、さらに、同年五月一日田臥雲平を証人として尋問し、また、福田清子の供述するような方法による家屋焼燬が可能であるかどうかについて、同月二日鑑定人小松崎盛行に鑑定を命じ、同鑑定人による同年七月一三日付の鑑定書を判断の資料とした。そして、昭和四三年二月一四日、同年三月二日および同年四月一二日の三回にわたり請求人に対する質問をし、その他請求人側および検察官側から提出された各資料をも検討した。

なお、本件の証拠として重要な意味をもつたものと思われる日記帳二冊(昭和三〇年証四五六号の一〇)とノートブック一冊(同年証一二一三号の一)については、その全部分(表裏の文字の重なりなどによる判読不能の個所は別として)を原文によつて詳細に検討し、本件と特に関連のある部分については、請求人に対する質問の際、一々これを指摘して説明の機会を与えた(個人の内心の表白である日記は、いかなる場合にも第三者が軽々にこれを読むべきものではない。当裁判所は、筆者にする対十分な配慮をもちつつ、この日記の内容を検討したものであることを付言する)。

五福田清子は、右の証人尋問において、前記告白書ないし弁護士に対する供述調書の内容と同趣旨の供述をした。すなわち、同女は、昭和二九年五月二日夜請求人とともに東京都港区芝二本榎の福田松寿方につき、そこから請求人とともに自動車で同区芝田村町の中華料理店「新雅」(スンヤ)にゆく途中、同夜九時四〇分ごろ北千束町の自宅に立ち寄り、同女だけが家の中に入つて、二階の客室とそのわきの廊下のところに、前もつて準備しておいた放火の時限装置をセットし、これに火を点じたうえ、両名で「新雅」にいつて食事をしたというのである。その装置というのは、ろうそくに一時間四十五分ほどで火が達する個所を計つて穴をあけておき、それを客室内の廊下よりの壁に近い床の上に立て、その穴にマシンオイルをひたした木綿地のひものはしを通し、そのひもを壁のコンセントの金具を外して作つておいた穴を通して、廊下のがらくた類がおいてあるところまで延ばし、そのひもの先端をマッチ箱(中身入り)に入れ、その上に経木の箱をさかさまにかぶせ、その上にマシンオイルを入れたウイスキーびんをのせ、なお右のひもの下にはトイレットペーパーを敷き、ひもの上にもトイレットペーパーをかぶせておいたものであり、同女は右のろうそくに火をともして、自宅を出たのであるという。そして、このような放火の計画と実行とについて、請求人はまつたく関与していないというのである。

なお、福田清子は、右のような告白を最初に昭和四二年一月ごろ百渓弁護士に対してしたのであると述べている。

六当裁判所は、以上のような福田清子の新供述を本件確定事件の記録、証拠物と対比し、総合して詳細に検討し、当裁判所の取り調べたその他の資料をも考慮に入れたうえ、結局つぎのように判断するのである。

本件放火の実行行為そのものについては、その大筋において、福田清子の新供述の内容を信用してよいものと思われる。同女の述べるような方法で本件家屋を焼燬することが十分に可能であることは、鑑定人小松崎盛行作成の鑑定書によつても明らかに認められ、また、同女がその夜九時半か一〇時ごろ一旦帰宅して二階に上つたことについては、客観的な証拠がある<証拠略>。そもそも、確定判決が認定している請求人自身の放火行為については、直接的な証拠はなにもなく、情況証拠、それもかなり遠い情況証拠によつてその事実が推断されたのであつた。本件のような性質の事件で、被告人らが徹底的に事実を争つている以上、それはまことにやむをえないところであつたが、いま福田清子の新供述を資料のうちに入れて考えると、同女の述べるような実行方法のほうが、よりよく他の各証拠と符合ずるものと判断せざるをえないのである。

しかしながら、同女の述べるような実行行為が、請求人とは無関係に、同女だけの意図ないし計画にもとづいて行なわれたものであるとは、到底信じることができない。同女の新供述を他の各証拠と総合して静かに考えると、同女の実行行為は請求人との十分な共謀にもとづくものであり、請求人は同女の行為を利用して自分の意思を実現したものとみるべきであるという心証に到達するのであり、この心証はなんとしても動かすことができないのである。むしろ、同女の新供述によつてはじめて、請求人が本件家屋の焼燬および保険金の騙取について刑事責任を負担すべきゆえんが、きわめて明確な形で示されることになつたとさえいうことができる。

前記ノートブック中に、一九五四年(昭和二九年)一月一五日付でPlan Aと記載され、また同年六月二日付でPlan A as Developed(プランAのなりゆき)と記載されているそのPlan Aや、前記日記帳(日誌一号)中の同年一月一四日、同月一八日、同年三月二五日、同月二六日、同月二七日、同年四月三日および同月一六日その他の日付の記載中に出てくるPlan AIMというのは、その個所により多少内容に広狭があるが、直接には手持ち不動産等の換金計画を意味し、その重要な要素として本件家屋の焼燬とT.K.とすなわち大正海上火災保険株式会社からの保険金取得の計画を包含するものと解すべきである(なお、確定判決が同年一月一四日付と判断したノートブック三五頁の日付と記載内容は、第二審判決が判断したとおりに帰すべきであることについて疑問の余地がない。)これらの記載に関する請求人の弁明は、ついに人を納得させるに足りない。

前記日記帳二冊を通読すると、幸いうすい生い立ちを経て、はじめ占領軍の兵士として日本にきた請求人が、ほとんど徒手空拳から、一種非凡な才能をもつて、かならずしも方法の当否を顧みず、営々として精力的に活動し、やがて驚くべきほどの経済的実力をもつに至つたこと、さらに大きな目標を立てて、新理研株の操作を中心に野心的な努力を重ねるうち、経済情勢の変化、福田清子の弟福田松寿のはなはだしい失敗、清子が請求人に秘して請求人のもつ新理研株多数を松寿の事業(第百殖産)のためにつぎこんでいたこと、その他種々の思わぬ事情によつて、請求人の計画に大きな破綻を生じ、さまざまな努力にかかわらず、次第に窮地に追いつめられ、ついに、破綻を免れるため、換金計画の重要な一環として、自宅を焼いて保険金を騙取するという非常手段をさえ考えるようになつたこと、それも、けつして悩みなしにこれを企画し実行に移したわけではなく、いくたびかためらつた末の決断であり、このような所業については何らかの方法でかならず社会に償いをすることを繰り返し心に誓つていたことなど、本件の放火に至るまでの経緯が、他の証拠とも相まつて、ありありとうかがえるのである(なお、火災当日についての詳細をきわめる日記帳の記載は、当日の行動を弁明するためにそなえた作為ある記録とみられる)。

七以上のとおり、確定判決では請求人と福田清子とが共謀のうえ請求人が放火の実行行為をしたものと認定されているのであるが、福田清子の新供述を他の証拠と総合すると、請求人と福田清子とが共謀のうえ福田清子が(請求人の意図を実現するために)放火の実行行為をしたものと認めるべきことになるのである。

従つて、福田清子の新供述は、確定判決の認めた請求人の放火、詐欺(保険金騙取)の罪につき、刑訴四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたるとすることはできない。なお、同号の「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」場合とは、原判決が認定した犯罪よりも法定刑の軽い他の犯罪を認めるべきときをいうのであるから、同女の新供述が、同号にいう「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき明らかな証拠」にあたらないこともまた、明瞭である。

八そこで、本件再審の請求は理由がないので、刑訴四四七条一項により、主文のとおり決定する。(戸田弘 羽石大 米沢敏雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例